2023年10月09日

国際的指揮者(女性)、ウクライナを語る

ロシアによる全面侵攻から1年半あまりが過ぎ、ウクライナ各地の文化・芸術施設が損傷した。芸術は政治的な中立性を保ち、政治と距離を置くべきか。芸術が政治的なメッセージを発するのは望ましいことなのか。日本でも頻繁に議論となる重たい問いかけに「芸術も黙っていられない」と即答したのはウクライナ出身のスター指揮者、オクサーナ・リーニフ氏。戦場となった故郷を意識しつつ、世界でタクトを振る音楽家に「戦争と芸術」について聞いた。

ウクライナ西部出身のリーニフ氏はイタリアを代表するオペラ座であるボローニャ市立劇場の音楽監督であり、世界各地の名門オーケストラから引っ張りだこの指揮者だ。インタビューで「戦争と芸術」の距離感について質問すると答えは明快だった。「黙ってはいられない。芸術家もメッセージを発しないといけない」

コンサートではウクライナの作曲家を頻繁に取り上げる。現代作品に加え、旧ソ連時代に抑圧されたものも演じ、「舞台上から演奏プログラムと音楽を通して語る」ことを全面侵攻後に意識するようになった。自らが率いるウクライナ・ユース交響楽団を引き連れ、国外での演奏ツアーや研修にも奔走する。戦時下でも若い音楽家が芸術活動を続けられるようにするためだ。

政治と距離を置く芸術家や文化人も多いなか、なぜ積極的にかかわろうとするのか。

家族、友人、仲間の音楽家がウクライナにいる。母校もウクライナだ。町が破壊され、民間人が被災し、文化遺産が傷つくことに胸を痛める。しかし、それだけが理由ではない。

ロシアのプーチン大統領は自らの版図を広げる大ロシア主義を標榜する。それがリーニフ氏には「私たちの国家やアイデンティティーを消し去ろうとしている」ように映る。だからこそ音楽でウクライナを示すことにこだわる。

取材中、リーニフ氏が何度も強調したのは音楽と政治が歴史的にみて不可分であるという事実だ。独裁者ムッソリーニと激しく対立し、御前演奏を拒否したイタリアの大指揮者トスカニーニを例にあげ、「芸術は黙ってはいられないと思う」と繰り返した。「音楽は真実を語るべきだ」とも述べ、音楽家は自らの立ち位置をはっきり示すべきだとの考えも明らかにした。芸術家が政治的中立であるというのは幻想だとの指摘である。

とはいえ音楽は民主主義国家だけのものではない。ロシアには世界的な水準を誇る名門オケや歌劇場があり、なお上演を続ける。ベラルーシや北朝鮮などを含めれば、独裁国家で演奏する音楽家はかなりの数になる。自らが奏でる音楽が国威発揚に利用されるのを黙認しているとみることもできるが、沈黙を強いられている可能性もある。

「そうした音楽家へのメッセージは」と問うと、少し考え込んでから言葉を選びながら答えた。「ケース・バイ・ケースで一概には判断できない。でも国外に脱出し、ほかの職場を探すことができるなら、そうした方がいい。体制には協力しない方がいい」

振り返れば東西分断の冷戦期、ウクライナやロシアを含めた旧ソ連・東欧圏の音楽家は特権階級である一方、体制への忠誠を求められた。音楽は「文化水準の高い共産圏」を宣伝する広告塔だったからだ。抑圧に嫌気がさし、西側への亡命を選んだ音楽家は少なくない。民主主義陣営と強権国家の溝が広がるなか、音楽の世界で強権国家からの静かな人材流出が始まるかもしれない。

一方、リーニフ氏は音楽そのものには罪がないと考える。ウクライナではロシアの作曲家チャイコフスキーなどの作品を排除する動きがあるが、「敵性音楽」のレッテルを貼るのは望ましくないという。愛国心を持ちつつ、偏狭で排他的にならないためにはどうしたらいいのか。「ウクライナはヨーロッパの国」と語気を強めたのが印象的だった。多様性を重んじつつ、芸術を大切にするのが欧州の価値観。戦後のウクライナの行き先を見据えているようだった。



出典  日経新聞 9/18


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2023年10月03日

山崎亮、落合陽一が語る、民藝その始まり



20:00頃〜 山下清と吉田璋也、式場隆三郎、棟方志功、芹澤_介らのつながり




7:30〜手仕事というか、身体性、世の中からこぼれ落ちていくもの、評価されていないものを拾い上げていった民藝

posted by その木なんの気、柳の気 at 06:35| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月02日

畳の魅力を見直す

最近では「和ブーム」という言葉も生まれ、畳の良さも改めて見直されています。フローリングの上に敷くユニット畳などもあり、和室がなくても洋室に畳を取り入れる事例がみられます。畳は厚さ3〜4cmほどある畳床にい草を貼ります。畳に使用するい草は多年性の植物です。自然素材ならではの利点は、調湿効果があることです。夏の不快な湿気は吸収し、乾燥している冬はい草が含んでいる水分を放出して湿度を調節してくれます。

睡眠中の汗で布団は湿気を含みます。フローリングの上に布団を敷いた場合と、畳に敷いた場合を比較してみると、布団の湿気を吸収してくれる畳の方が夏の熱帯夜の寝苦しさを軽減してくれます。

イグサのフィトンチッドという芳香成分はリラックス効果があると言われています。

空気を含んでいるい草はフローリングに比べてクッション性が高く、階下への物音を軽減させる防音効果もあります。

従来は稲ワラを圧縮させた畳床でしたが、近年の気密性の高い住宅に合わせて新素材が開発され、耐湿性や断熱性に優れた畳床に進化しています。

日本の住宅事情もあって居間と寝室を兼ねていた和室は、常にベッドやソファが置いてある洋室にはない、汎用性の高さがメリットと言えます。

夏に素足で畳を歩いたら、肌触りが良かったんですね。その後も寝っ転がることが増えて、畳も悪くないと思いました。ただし畳は髪の毛やほこりが目立ちやすいので、こまめに掃除が必要。カビも生えやすいので風通しにも気を遣い、雨の日にはサーキュレーターを回しています。案外僕は昔ながらのレトロな生活が好きなことに気が付きました」(Aさん)

 和室物件に住んだことで生活スタイルにも影響が及んだ。

「西日が射し込む畳の部屋で、ちゃぶ台の上にノートPCを広げて仕事をすることもあります。友人を呼んだら、『めちゃくちゃエモい!』と騒いでいました(笑)。ベッドから布団で寝る生活に変わったので、友人が急に遊びに来てもスペースが広く取れることもメリットとして感じています」(Aさん)

収納に重宝する「押し入れ」がある生活
 メーカー勤務の30代男性・Bさんは、家賃の安さと住み心地の良さから、1室が和室になっている2DKの物件に住み続けている。何より気に入っているのは、「押し入れ」の収納力の高さだという。

「最初は、僕も『和室か……』と思いましたが、いざ住んでみると、押し入れはクローゼットより奥行きがあるので、収納スペースとしてすごく重宝しています。引き戸だから、扉の前のスペースに気を使わなくていいのもうれしい。

畳は衛生面でも大活躍。畳は腐敗細菌に対して抗菌作用があることがわかっています。また近年、肺炎の原因となっている細菌に対しても抗菌作用が認められています。ただ、勘違いしてほしくないのは、腐敗細菌に対しての抗菌作用が期待できるからといって、掃除をしなくていいわけではないです。畳の香りには人間をリラックスする香り成分が含まれています。それはバニリンとフィトンチッドと呼ばれるもので、バニリンはバニラの香り成分の主、フィトンチッドは主に森林などで放出されているリラックス成分になります。
ある研究では、畳の部屋とそうでない部屋とで問題を解いた結果、畳の部屋の方が成績が良かったという実験結果があります。もしかしたら畳の香り成分によってリラックスした環境で問題に向き合えたから成績が良かったのかもしれません。子供の勉強部屋や書斎に畳はおすすめです。
posted by その木なんの気、柳の気 at 16:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月01日

❶講演会のご案内と  ❷新緑の庭園ツアー

クリックすると下記の講演会の案内チラシがご覧いただけます
❶講演;「白樺と民藝、行商の時代を経て、男女の平等へ」
↓ クリックすると案内(PDF)が出てきます
放談クラブ.docx

❷庭園ツアー
  ↓ 画像をクリックすると鮮明に読めます
Mr TOKUGAWA.GIF
posted by その木なんの気、柳の気 at 21:47| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月01日

叙勲

バーナード・リーチは1974年に国際交流基金賞を受賞し、その際に日本に招かれ、我孫子のゆかりの人として、ロータリークラブで記念碑を建てている。

1963年に大英帝国勲章(Order of CBE)を受章し、1977年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館はリーチの大規模回顧展を開いた。が、リーチはその2年後の1979年にセント・アイブスで死去した。

イギリスの叙勲システム(一部)
ガーター勲章:イングランドの最高勲章で、イギリスの王族や首相経験者、外国の国家元首などに送られる
バス勲章:トップクラスの軍人や官僚に送られる
大英帝国勲章は5等級に分かれている

コンパニオンズ・オブ・オーナー勲章(65人に限定、受勲者は名前の後にCHを付けることを許される)
P。McCartneyは英英国・コンパニオンズ・オブ・オナー勲章(2018年)

ナイトまたはデイム(騎士の爵位。受勲者はサーまたはデイムの敬称を使うことを許される)
P。McCartneyは英国・ナイトの爵位(1997年):エリザベス2世より音楽への貢献が認められ授与された。

コマンダー(CBE、司令官)
オフィサー(OBE、将校)
メンバー(MBE、団員)
大英帝国勲章第5級勲位(MBE:Member of the Order of the British Empire)(1965年):ビートルズとして叙勲。
フランス・レジオンドヌール勲章オフィシエ(将校、4等)(2012年)[73]
このほか、文化部門で活躍した人に送られる大英帝国メダル(BEM)、外交官などに送られる聖マイケル・聖ジョージ勲章などがある。
posted by その木なんの気、柳の気 at 17:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月12日

ソウルの国立現代美術館で、「柳宗悦展」

 韓国・ソウルの徳寿宮美術館(国立現代美術館分館)で25日から、朝鮮美術を愛した日本人民芸運動家の柳宗悦(1889―1961)が収集した美術品などを集めた「柳宗悦展」がスタートする。柳が創設した日本民藝館の所蔵品や資料139点が展示される。

 1916年に柳が初めて朝鮮半島を訪問し、釜山の古物商から購入した「鉄砂雲竹文壺」などの朝鮮工芸品や、日本の木喰(もくじき)上人作の「虚空蔵菩薩(ぼさつ)像」など多彩な作品が展示される。

 1919年に朝鮮半島で三・一独立運動が起こると柳は読売新聞に「朝鮮人を想う」と題する文章を連載し、独立運動の正当性を訴え、朝鮮総督府による朝鮮人弾圧や同化政策を批判した。同展ではその翌年に雑誌「改造」と韓国紙の東亜日報に掲載された「朝鮮の友に贈る書」も展示される。

 会期は7月21日まで。


出典HP 2013年/5/23総合ニュース https://jp.yna.co.kr/view/AJP20130523003800882
https://s.japanese.joins.com/JArticle/172433
https://japanese.joins.com/JArticle/172433
posted by その木なんの気、柳の気 at 11:53| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月04日

民藝を繋ぐ孫子

初代館長濱田庄司の孫(濱田琢司)や河井ェ次郎のひ孫(河井創太)世代の方々に同館収蔵品をセレクションしていただき、展示へと向かう。
収蔵品を紹介しながら、現在様々なかたちで活躍されていること、幼少期の体験談やそれぞれ受け継がれたものはなにか?をインタビュー映像としてオンライン配信(2021 )。民芸のこれからの50年へのヒントを見いだします。


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2021年05月07日

真理と美を愛する精神〜民芸運動の父・柳宗悦〜

高崎哲郎氏が、柳宗悦について、我孫子での民藝に向かう変化の兆しをその生まれ、人減関係などを通して次のように書いていたので、紹介しておきたい。


戦前、手賀沼周辺(今日の千葉県我孫子市)の閑静な高台に著名な作家、芸術家、学者らが居を構えていていた。「手賀沼文化人」である。「手賀沼文化人」の中で、私にとって、その豊饒な多方面にわたる天才性ゆえに最も論じにくいのが柳宗悦(1889〜1961)である。だが、柳宗悦の高邁な哲学的かつ芸術的精神は後世に伝えるべきである、と考える。宗教哲学者、思想家、美学者、文学者そして、それよりも「民芸運動の父」として知られる人である。

大正期、東京から常磐線で1時間足らずの田園地帯に広大な自然の広がる沼畔があって、東京の作家、画家、知識人らが「都会の喧騒から離れた思索の地」として目をつけた。イギリス人陶芸家バーナード・リーチが柳邸に仮寓し、日英の友情の絆を深め、浜田庄司との出会いもここ我孫子の地だった。我孫子の地は、宗悦にとって妻兼子との新婚時代を過ごした地であるとともに、初めて自らの家庭を築いた地、つまり家族の絆を築いた場所である。「白樺」同人である志賀直哉、武者小路実篤を我孫子に導き、生涯にわたる絆をここで結んだ。柳宗悦にとって我孫子は「出会い」と「絆」の地であった。

民芸運動の指導者・柳宗悦の夫人は声楽家・兼子、柳の伯父にあたる東京高等師範学校(東京教育大学を経て現筑波大学)校長・柔道家・嘉納治五郎、他に、中勘助、滝井孝作、「朝日新聞」記者・文明評論家杉村楚人冠など、日本の代表的作家や思想家、芸術家たちが暮らしていた。

柳は学習院高等科のころ、同級生と同人誌「白樺」を創刊した。紙面の美術面を主に担当し、宗教哲学、心霊学についての論文を相次いで寄稿する。「科学と人生」(1911)を東京帝大哲学科在学中に刊行する。1913年、同大哲学科を卒業し、翌年、東京音楽学校(現東京芸大)卒の声楽家・中島兼子と結婚する。恋愛結婚であった。

柳は学生時代からイギリスの詩人・画家ウィリアム・ブレークに深く傾倒し、我孫子に来た1914年、「ウィリアム・ブレーク」を出版した。そして、神秘主義の研究は宗派を超え「宗教とその真理」(1919)、「宗教的奇蹟」(1921)と順を追って研究をしていた。

しかし、我孫子に転居した9月に朝鮮在住の浅川伯教が来訪、つづいてその弟・巧の兄弟と親交を結び、朝鮮を数次にわたって旅行し、日本の朝鮮政策を批判する文章を発表した。さらに1922年には光化門取り壊しを聞き知って、反対の文章「失はれんとする一朝鮮建築のために」を雑誌「改造」に発表した。1919年の朝鮮の独立運動弾圧に対して、有識者が声を上げぬのに業をにやして、「朝鮮人を想う」、「朝鮮の友に贈る書」を発表。1923年の関東大震災での朝鮮人虐殺を悲しみ、1924年にはそれまで集めていた朝鮮美術を携えて京城景福宮緝敬堂(しゅうけいどう)に朝鮮民族美術館を開設した。

我孫子から転居後には、「宗教の理解」(1922)、「神に就いて」(1923)を経て、戦後、仏教論「南無阿弥陀仏」(1955)に向かい、初期のキリスト教から仏教(主に浄土真宗)に関心が移る。両者に通底するものを追い求め続けたことは後年の「神と仏」(1956)に明らかである。白樺派の彼らの精神に通底するものは知識人としてのヒューマニズムまたはリベラリズムと言っていいだろう。この水と緑の豊かな湖畔は彼ら知識人に静寂と思索の場を与え、代表作や秀作を生ませたのである。

1926年、陶芸家浜田庄司、同河井寛次郎とともに高野山を旅して「日本民芸美術館」設立の構想を得て、設立趣意書を発表した。すぐれた器の収集や実作の調査に乗り出し、1931年に雑誌「工芸」を創刊して1949年までに120冊を出した。これらの冊子は、軍国主義に転落していった日本にあって、柳の守ったけじめを示している。大原孫三郎から寄付を得て1936年に日本民芸館を創設した。

敗戦後の1948年京都の相国寺で行った講演「美の法門」は美と醜の区別を超えて世界を見渡す視野の成立を説いて、仏教の信仰に根を下ろす美意識のあり方を示した。これは「妙好人因幡の源左」(1950)、「仏教と悪」(1958)、「心偈」(1959)に連なる仕事である。
救いを求める庶民と仏教の在り方を常に問うた。


参照HP:https://www.risktaisaku.com/articles/-/4459?page=2


posted by その木なんの気、柳の気 at 23:33| 東京 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月02日

日韓関係を振り返る

韓国外交省が3月29日に外交文書を公開した。1990年5月の盧泰愚(ノテウ)大統領(当時)訪日に先立ち、天皇陛下(現在の上皇さま)に植民地支配をめぐる「具体的で強いおわび」を求める方針を立てた韓国政府内の討議の様子が詳しく記されていた。

 文書は同年4月に作成された内部資料。宮中での歓迎晩餐会の場でのおわび発言について、84年の全斗煥(チョンドゥファン)大統領の訪日時より「さらに具体的で強い内容になるよう交渉する」と記されていた。そのうえで天皇陛下への訪韓要請と「連携して対応する」とした。文書で韓国外務省(当時)は「未来志向の関係のため」にはおわび発言が必要だと指摘。実現しない場合、「韓国国民は決して納得しないだろう」と強調した。

 全氏の訪日時、昭和天皇は植民地支配について「誠に遺憾であり再び繰り返されてはならない」と語った。90年に盧氏が訪日した際、天皇陛下(現在の上皇さま)は「貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、痛惜の念を禁じえない」と述べた。韓国側はこれを十分だと判断したようで、盧氏は日本滞在中、天皇皇后両陛下に韓国訪問を要請していた。



出典:(4/2)
posted by その木なんの気、柳の気 at 23:00| 東京 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月26日

What a happy happening ! 

目玉焼きを作ろうとたまごを取って、割りました。するりと二個の黄身がでてきて「あ、ふたご」と驚きました。

CIMG5521.JPG

ひとつで二個たべられた、ちょっと食べるのが惜しい気がしましたが、あまりもののニンジンと大根のしっぽで作ったピクルスと一緒にいただきました。

CIMG5523.JPG

卵の周りの猪口にあるのは、ニンジンの水栽培です、時々、つまんでスープやサラダの色どりに使ってゐます。ニンジンの香りと味わいが強いので色どりと味のアクセントになります。
posted by その木なんの気、柳の気 at 10:11| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする