2014年09月27日

日本の技が影響した、アーツアンドクラフツ

19世紀後半、万国博覧会などを通じて欧米にもたらされた型紙は、産業革命以降低迷していたイギリスの装飾芸術や産業芸術に時代に即した新たな造形表現を求めていた欧米で積極的に収集され、多くの芸術家やデザイナーに影響を与えました。

欧米にわたった型紙は、さまざまな博物館、コレクターに収集されて大切に保管されてきた。

工業デザイナーの先駆けとして知られるクリストファー・ドレッサーが、1876−77年に日本を視察して型紙染めの技法を著作中で報告したことを契機に、80年代以降、リバティー百貨店では型紙が販売され、シルヴァー・スタジオをはじめとするイギリスの産業芸術に美的インスピレーションを与えました。1884年には、表面装飾のためのステンシル用にイギリスのリバティ百貨店で実際に型紙が販売された実績もある。

イギリスのアーツ・アンド・クラフツ、フランスのアール・ヌーヴォー、そしてドイツのユーゲントシュティールなどの運動に確実に影響を与えたことは間違いなく、展覧会の中では、アルフォンス・ミュシャやルイス・コンフォート・ティファニー、ウォルター・クレイン、ルネ・ラリックらの作品の中でも、特に象徴的なものが紹介されている。また、イギリスのブリントンズ・カーペット社やリバティ商会など、影響を受けた企業のコレクションも見逃せません。スコットランドでは、チャールズ・レニー・マッキントッシュが型紙を平面装飾に応用しています。

一方、アメリカでは、1876年のフィラデルフィア万博から型紙への関心が高まり、ルイス・コンフォート・ティファニーなどにより、型紙の影響が顕著な作品が多数制作されました。

ドイツは1871年に統一、19世紀半ば以降自国産業の発展促進のために、数多くの工芸博物館とそれに附属する学校が設立されました。当時なおハプスブルク帝国の威容を誇っていたオーストリアを含むドイツ語圏では、型紙の受容にこの工芸博物館・学校が大きな役割を果たしました。型紙は幅広い地域で収集され、各地の工芸改革運動やユーゲントシュティールと呼ばれる新しい芸術潮流と密接に連動し、時代に見合う新たな造形を模索していた人々の手本とされたのです。本章では、ドイツにおける型紙の受容とその展開に加え、ドイツ北西部ルール地方と経済的に密接な関係をもつオランダ、そしてウィーン工房を中心とするオーストリアでの型紙の影響がみられます。

フランスでは19世紀末に印象派が絵画革命を起こし、その後アール・ヌーヴォーの花開く。早くから日本の文物への関心が高く、ジャポニスムと呼ばれる造形運動が起こりました。絵画ではナビ派が日本の平面デザインを画中に応用し、工芸デザインではナンシー派が型紙のコレクションを活用した作品を制作しました。テキスタイルの産地であったミュルーズ、リヨンでも型紙が収蔵され、さかんに日本風文様がデザインされました。  
アール・ヌーヴォーのもうひとつの揺籃の地となったベルギーの首都ブリュッセルでも、実際に型紙を所有していたアンリ・ヴァン・ド・ヴェルドや建築家ヴィクトール・オルタが、型紙を参考にして曲線デザインをつくりあげました。

これらの手工芸を見直す運動は、世界におきていたが、日本に民藝運動が起きたのは、そもそもこうした技術があったわけであり、柳宗悦は各地の手工芸を発掘して全国を歩いたのであった。
posted by その木なんの気、柳の気 at 19:53| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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