2014年12月01日

中見真理『柳宗悦』の本、韓国訳

翻訳をされた金順姫氏の思いが、「韓日の狭間におかれた者の思念──中見真理著『柳宗悦 時代と思想』の翻訳を終えて」(「UP」5月号より転載)としてご本人のブログ(2006年5月17日)に掲載があったので、参考になった。是非、そのエピソードをご紹介したい



2003年初夏のこと,日頃親しくしている出版社の社長から電話があり,大学からの帰りに立ち寄った.彼は少々興奮し,まるで宝物を見せるかのような表情で,1冊の本を私に差し出した.中見真理著『柳宗悦 時代と思想』(東京大学出版会,2003)との出会いである.

東京ブックフェアで見つけたと得意げに話しながら「先生,翻訳出版しましょう」と意気込んでいる.表紙からして重みが感じられる本,一瞬たじろいで目次を見てドキリとした.これは筆者がイメージしていた「柳宗悦」ではない.彼に関しては「民藝」と「茶」に関する知識のみの筆者は,あとずさりせずにはいられなかった.

ためらっている筆者に社長は次のように述べて詰め寄った.「金先生から日頃,『柳宗悦を語らずして韓日の関係について語ることは出来ない』と言われていたので,それがすっかり頭に焼きついていました.ブックフェアで一番に目に付いたのがこの本だったのです」.さらに浅川巧の生涯を著述した高崎宗司著『朝鮮の土となった日本人』(増補新版,草風館,1998)と共に,2冊を同時出版したいと言う.難解そうだという不安と内容に対する期待が交錯する中,清水の舞台から飛び降りる心境がこのようなものかと思いつつ,厳粛な思いで翻訳を引き受けることにした.



韓国で柳宗悦が話題に上る時,まず,直面するのはその呼び方である.「やなぎむねよし」と話を始めると,相手は怪訝な顔をする.話の内容から少し納得できたのか,「ああ,ユジョンヨルのことですね」と反応が返ってくる.すると今度はこちらが当惑する羽目になる.「ユジョンヨル」は韓国式の字音読みであるが,何度経験しても未だに慣れない事の一つである.韓国には「ユ(柳)」という姓があり,そう呼びたくなるのはよく理解できるのだが,姓名を重視する韓国人が外国人の名前だと適当に呼んですましてしまうのはどうかと思われる.世間話ではなく,「柳宗悦」に関する話をしているのだから,名前を正しく呼ぶよう注意を喚起したいと思うが,うまく伝わらない.その後の話の流れで「悲哀の美」が出てくると,きまって韓国と日本という両極に分かれた展開となっていくので,かなり微妙な感情が入ることとなる.日本で生まれ育った韓国人である筆者は,柳宗悦の思想をしっかりと把握していなかったこともあって,自ずと慎重な言葉選びとなり,充分に自分の意見を話しきれず,いきおい名前の呼び方についてはいつもそのままにしてしまった.

筆者が初めて柳宗悦を知ったのは中学生の時,国語の教科書を通してであった.光化門を撤去してはならないと主張する彼の「ああ,光化門」は,韓国人である筆者に大きな感動を与えてくれた.その後,大学生になり文学を学びながら柳宗悦の美意識,特に,暮らしの中の実用品に美しさを見つけ,民藝運動を展開した1人の良心的な日本人の生き方に深い関心を持つようになった.韓国に帰国してからも折に触れ,彼について話し,書き続けてきたが,『柳宗悦 時代と思想』の翻訳は筆者の能力を越えた仕事と思われた.今までに何冊もの本を翻訳してきたし,いつもかなり丁寧に読みこんだ上で翻訳に臨んでいたのだが,正直言って翻訳前にこれほど読み返したのは初めての経験である.

しかし,読めば読むほど難しく感じられた.筆者が柳宗悦に関してそれなりに知っていると自負していたのは彼のほんの一部分であり,しかも柳思想の底を流れている核心を知らなかったということに気づいた.「悲哀の美」についても,いろいろな意見,さまざまな批評に接していて,筆者なりの考えも持っていたが,この『柳宗悦 時代と思想』は,柳宗悦の一面に偏っていた狭い考えを一新させてくれたのである.そしてこれからは「悲哀の美」に関しても,今までとは違った話し方が出来るだろうという自信もわいてきた.

こうして,韓国の人々にこの本を読んでほしいという思いが,日に日に強くなっていった.そのためには,より正確なわかりやすい翻訳をしなければならない.著者の平和への思いが,17年間にわたる柳宗悦の思想の形成過程を追う研究へと結びついたこと,そして「複合の美の平和思想」を柳思想の核心と見なしたその高見に敬意を表する意味でも,著者の意図から外れた翻訳であってはならないと心に誓った.

文学を専攻した筆者にとって,思想史的な内容が大部分であるこの本の翻訳は大変難解な仕事であった.柳の思想形成史を辿る中で,近代思想史に関して門外漢の筆者は,多忙な著者を質問攻めにして迷惑をかけてしまった.著者の精密でかつ誠意のある説明と助言がなければその翻訳を完成する事が出来なかったと思う.


韓国人の柳宗悦に対する評価,批判は,古くは『開闢』(1922・9)誌上で朴鐘鴻が「悲哀の美」について批判したことに始まるが,その場合,主な対象となっていたのは柳宗悦の著書『朝鮮とその芸術』(叢文閣,1922)であった.『朝鮮とその芸術』は,今までに7種類翻訳出版されているとのことであるが(加藤利枝の調査による),最近の韓国人が読んでいるのは,李大源が翻訳した『韓国とその芸術』(知識産業社,1974)ではなかろうか.10数年前に『柳宗悦 茶道論集』(岩波文庫,1987)を翻訳した際,内容に対してかなり好意的な評価は得られたと記憶している.だが朴鐘鴻の批判から80年余りという歳月が過ぎた現在でも,やはり柳宗悦といえば「悲哀の美」という固定観念から抜け出せない感がある.その意味で,『民藝』誌2001年4月号で藤岡泰介が述べている「過去の日本との関係がそうさせるためか,韓くに人の柳宗悦批評,批判は,どれも,folkの視点ではなくnationの視点で柳を取り上げている感がある」という指摘は的を射ている.『柳宗悦 時代と思想』はそうした固定観念を打破し,韓国における柳宗悦像を再構築させるきっかけになるのではないかと翻訳をしながら,心の中で大きな期待を寄せていた.


『柳宗悦 時代と思想』は2005年11月30日に『柳宗悦評伝 美学的アナキスト』(Hyohyug Publishing, 2005)と題して発売された.そして12月1日に『連合ニュース』,2日には『朝鮮日報』,『ソウル新聞』,『韓国日報』,5日には『京郷新聞』,『釜山日報』,9日には『ハンギョレ新聞』に書評が掲載された.

それらの書評が「悲哀の美」だけでなく,「複合の美」をも同等に取り上げていることに,筆者は何よりも感動させられた.

『ソウル新聞』の書評では,あらゆる武力行使を否定する「絶対平和思想」について述べながら,「それは,世界の平和は一色によって得られるのではなく,すべての民族がそれぞれ個性を発揮すべきだとする柳思想の核心としての『複合の美』に繋がる.しかし,そのような論理が韓国でどれほどの説得力を持つかはいずれにしても疑わしい」と疑問を投げかけている.一方,『京郷新聞』は「グローバリゼーションという名の下に文化の多様性の意味さえ廃れてしまっているこの時代に,多様な文化の価値を強調し,守ろうとした彼の生涯は,韓日関係を改めて考え直すきっかけを私たちに投げかけてくれる」と述べている.『韓国日報』の書評は「朝鮮の美に陶酔した2人の日本人」と題して,「ヨン様に熱狂する中年女性が日本に出現する70─80年も前に,朝鮮の美に魅了された2人の人物がいた.その評伝がこのたび同時出版された意義は大きい.(中略)日本植民地下の韓国の文化に魅せられた浅川巧と柳宗悦.彼らの思想に対する両国民の正しい理解と受容が,21世紀の新しい韓日関係を解決していく端緒になり得るのではなかろうか」と述べている.

上記の七社の中でも『ハンギョレ新聞』は韓国の知識人の声を最も良く反映する新聞社として知られている.『ハンギョレ新聞』の書評の要約をここで紹介したい.

「朝鮮の美」,または朝鮮民藝論,韓国学などについて論じる時,必ず登場する日本人柳宗(1889─1961).「朝鮮人よりも朝鮮を愛した」という修飾語と共に,「悲哀の美」で代表される彼の初期朝鮮美学観に対する是非が,今も続いている.『柳宗悦評伝 美学的アナキスト』は,この柳の思想的軌跡,特に,彼の平和思想を集大成した本である.国際関係思想史研究の専門家で,戦争と平和の問題に関心を寄せ続けている日本の清泉女子大学教授(文学部文化史学科)の中見真理氏が,17年間の長期間にわたって柳を研究し続けた結実である.柳が西力東漸の潮流のなかで,日本文化の個性確立を重視しながら,自民族中心主義には陥らずに,朝鮮と台湾,沖縄文化を尊重した民藝運動を繰り広げることができた背景の一つとして,著者は,「世界を一色にすることで平和を得ようとしても無理であろう」という彼の「複合の美思想」をあげている.柳の朝鮮美学を眺める視野を一層幅広く深くしてくれる.

『朝鮮日報』の書評のなかで,「著者が17年間の歳月をかけて書いた,その苦労の大変さと同じくらいに,その内容も奥深く重みがあって容易く読めるものではない」という指摘があるが,書店の店頭にいつまでも並べられていることから推察して,地味ながらも読者は増えつづけていると思われる.1人でも多くの韓国人に『柳宗悦評伝 美学的アナキスト』が読まれることによって,間違いなく柳宗悦に対する韓国人の受けとめ方が変わっていくであろうと信じている.

『柳宗悦 時代と思想』の翻訳は,今まで経験した難行中の難行であった.本全体にあふれている著者の誠意,広範囲にわたる内容と精密な論理の展開.一語も疎かに出来ないと祈る思いで翻訳を続けた.そしてこの本は筆者の生活までも変えてしまったような気がする.生みの親である韓国と,育ての親としての日本の狭間で苦しんできた筆者が,柳宗悦の平和思想を学んだことにより遅蒔きながら今後の生き方をしっかりと掴んだのである.朝鮮の美が,柳宗悦にとって「民藝」を生み出す起点となったのならば,「民藝」を通して日韓両国は平和な関係を作りあげることが出来ると信じる.

願わくは,日本の「民藝」を韓国に伝え,韓国の「民藝」を日本に伝える仕事を続けることが出来れば,筆者の人生は意味あるものとなるのであろう.

(きむ・すんひ 日本中古文学)

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コメント ≫
韓国と日本の関係を考える上で、柳宗悦はひとつのバロメーターになると思われます。中見氏の長年の研究成果が本としてまとめられ、そのうえ、早速韓国で翻訳され、高い評価を受けていることを金氏の文章から知ることができました。ありがとうございます。

コメント by 立花秀治 − 2006年5月28日 @ 0:38

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posted by その木なんの気、柳の気 at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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