柳宗悦が生涯書きとめた約600篇の随筆より22篇を精選した本「柳宗悦随筆集」(水尾比呂志 岩波書店)があり、その読後感が次のように纏められていて楽しい。
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この本を読み始めると今まで味わったことないような楽しい気分になりました。ひとつは内容が僕の好きな「美しさ」について書いたエッセイを集めたものであると、もうひとつは文章が優しく、その上、「美」のエッセンスがギッシリと詰まっているからです。
前半は、昭和4年から5年、昭和27年から28年のヨーロッパ、アメリカの旅行記、昭和8年のハワイ滞在記です。
中でも昭和5年、彼がハーバード大学で「日本における美の標準」をいう講義の最後授業を終えた時の記述は感動的です。内容は以下のとおりです
僕は生徒がそんなにまで興奮した経験を日本ですら有(も)たない。僕が次の言葉をいい終わって壇を去った時、僕はたちまち興奮した生徒に取りかこまれた。
僕は驚いた。はじめは何か腹でも立てたのかと思った。ある生徒はもう口がきけなく、どもって咳き込んで何かをいうのだがよく分からない。顔を真っ赤にしてしまってこんな講義を聞いたことがないというんだ。今まで分かっているようで分かっていなかったことをみんないってくれたといって悦んで手を僕の肩から離さない。僕は僕の部屋に帰ってまで皆に囲まれた・・・・
後半は、「美しさと女性」、「食器と女」、「言葉の躾」、「民藝と雪舟」、「東洋文化の教養」、「山陽随筆」、「野口シカ刀自の手蹟」、仮名書きの不便さ」、「東西南北」、病中横断」、「時計のない暮し」、「漢薬の能書」、「赤と緑」の13篇の様々な随筆が収録されています。
どのエッセイも素晴らしいものがありますが,例えば「美しさと女性」の中に以下のような記述がありました。
美しさとは何かということはむずかしい問題かも知れませんし人々により、時代により、国々によって、その標準が違うのは、まぬがれません。しかし全体を通じて、美しさを「調和の相(すがた)」といってよいかと思います。不調和は私たちに美感を誘いません。それは人間の心をなごやかにさせず、やわらぎを与えません。音の世界に例をとれば、不調音が、吾々の耳に美しく響かないのと・・・・
民藝運動において、美を追求した柳宗悦が成しえたことは、
"In the long run , a history of art without heroes is the very one which I should like to write!"(結局、英雄のいない芸術史、民衆の美を明らかにしたいということだったのだ!)
柳宗悦は「利休以上の眼を持つ」といわれた人です。その柳宗悦が熱心に掘り起こした美とは、それまでのひ人々が気づかなかった美を丹念にすくいあげてきたことでした。
彼の思想は「名も無き民衆が美を作ろうという意識を持たずに作り上げた美の世界こそ、真の美がある」という民衆的工芸、すなわち「民芸」です。「民芸」が美しいのではなく、「民芸」は美しいものが生まれる土壌なのであると主張し、生涯を通して民芸品の「美」を追求しました。
彼の唱えた「無有好醜」の考えは、「民芸品の特徴は『醜い』ものは一点もない、たとえば富士山のような圧巻はあるが、かといって身近の野山が醜いわけではない。そういう美醜を超えた世界、醜いものが原理上存在しえない世界に『民芸』はある・・・」です。
出典HP:
http://blog.livedoor.jp/hanaichisan/archives/51302662.html
2014年08月24日
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