2016年01月11日

明治の開国と日本への憧憬

 日本におけるウィリアム・モリスの紹介は、1890年代のはじめから始まる。それは、極めて断片的なものであり、主として詩人あるいは社会主義者としてのモリスを扱うものであった。その後、英国留学から帰国した、のちに陶芸家となる富本憲吉が、1912年に、エイマ・ヴァランスの書物に基づき、工芸家としてのモリスに関しての評伝を発表し、続いて1915年には、第4次外遊ののち、東京美術学校(現在の東京芸術大学)の西洋美術史の教授であった岩村透が、「ウイリアム、モリスと趣味的社會主義」を書いている。

 モリス像は、ある種の誤謬が初期にみられ、それから適切な修正がされるまでには、1920年代はじめの、つまり「大正デモクラシー」の絶頂期の新たなモリス研究の再開まで待たなければならなかった。

その以前の1850年代中頃から、アーツ&クラフツの運動をうけて展開されるフランスのアール・ヌーヴォーの展開には、イギリスのデザインへの日本からの影響が見られるという事がよく知られるようになっている。しかし、第一次と二次の大戦の間の時期にも日本からのインスピレーションを受けていた事は、さほど一般には認められていない。

しかし、ウェルズ・コーツのデザインが実証するように、日本からの影響は、1920年代そして30年代にもみられ、モダニズムのデザインや建築への重要なインスピレーション源であったと考えられる。

 イギリスの近代運動の中心人物であったコーツは、彼が日本で受けた教育と幼少期に受けた影響が彼の作品に多大な影響を受けていた。のデザインと執筆、日本の建築物に関する記述やイギリスにおけるデザインのモダニズムへの彼の貢献を考えると、コーツは日本そして日本建築に関する知識の伝道者だった。
posted by その木なんの気、柳の気 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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