2018年05月13日

雨の日の出来事@我孫子駅前

 まるで、「我孫子から」を書いた柳宗悦のように、目にした光景を書き留めておきたい気持ちになった。

 母の日、娘は孫を連れてやってきた。この間はまだ、靴を履いてもおぼつかない歩き方だったのに、おっとととなるが随分と上手にあちこち家の中を探検してまわって、ご機嫌に引き出しや棚のモノを手にしては、次々に床にほおり出していく。にこにことご機嫌な笑顔だから、怒るわけにもいかない、小台風がとおりさったかのようだが、他愛無い。皆こんなふうに大きくなるのだ。

 94歳になる母のいる「ゆめみ野」の家にも、曾孫を連れていくという、相変わらず優しい子だと思う。ピアノを弾いたり、日本画を描いたり、海外スケッチ旅行をしたり、90才まで車の免許を更新すると言い張っていた、さすがに自粛したけれど。行けるところが限られて、さすがに生きているのに辛いとも言う時期があったが、それも自粛して、言われた通りのこさず食事・おやつを食べて、時折のデイサービスに出かける。車いすを押して貰うまでになっていないが、手押し車を押してゆっくり歩く。そして、「時間が無駄だからお見舞いなんかに来なくていいよ、でもありがとう、来てくれて、気を付けて帰りなさい」という。もう、会話はいつも同じになってしまう。でも、曾孫を連れてくる新米ママは来月から、職場復帰するという。時代は変わった、男女の関係も、社会の女性へ期待する目も変わってきた。
夫の影を踏まずに歩くなどの意味ももう解釈できる人は、孫を持つ世代でしかわからないだろうし、そんな事をする必要がどこにあったのかわからないだろう。

 しかし、駅前で見た光景は、人の優しさは変わらないのだなと思わせるものだった。

 雨の駅前を傘をさして、窓をおんぶして荷物を山盛り持つ娘を駅の改札まで見送った。そして、道を渡ろうと左右を見極めていると、スーパーの角の段差に気づかず転倒した高齢者がいた。荷物をたくさん持って傘をさしていたから、足を滑らせたようだ。すぐに立ち上がることも出来ない様子を見て、手を貸そうとそちら方向に体が向かうと同時に、高齢者のそば近い所にいた若者がおじいさんに手を貸して体を起こしてあげた。すると私と同時にそれぞれ おじいさんの転倒した姿を認めた人たちが、その人たちの傘の幾つかが動き出して、5、6つ程の傘がおじいさんの周りに輪のように次々に集まってきて、手を貸したり、荷物をおこしたり、「大丈夫ですか」「ありがとう」の言葉が飛び交った。おじいさんがすっかり荷物を手にしたころには、自然に傘が何事もなく、もとの場所に散っていった。我孫子だから、今どきも若者も男性も女性も思いやりの行動を起こす、そうした光景を目に出来る街なんだと、ここに住んでいることに、小雨のお蔭で気づかされたと思ってしまった。

 きっと、柳宗悦は我孫子の家で待つ、新妻・兼子に、車中での微笑ましい光景を話したに違いない。なぜなら、私も娘を送る車を運転してきた夫に、傘が輪のように集まった光景を話したからだ。捨てたものじゃない、世の中に人の優しさが続く限りは・・・。




















posted by その木なんの気、柳の気 at 22:31| 東京 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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